レジリエンス・エンジニアリング

Resilience Engineering

 医療や宇宙航空など高い信頼性が求められる産業において,レジリエンス・エンジニアリングと呼ばれるアプローチが注目されている。その背景には従来型の安全管理の限界,経済的プレッシャーの増大,そして複雑系科学の進歩などがある。レジリエンスとは,竹のようにしなやかでポキっと折れない性質を意味し,モノやシステムの有する弾力性のある特性を意味する。

 これまでの安全管理ではいわゆる「失敗事例」を分析の対象とし,それを減らすことを目的としてきた(Safety-Ⅰとも呼ばれる)。失敗に関係したであろう人々やテクノロジーなどを特定し,因果関係によって失敗を説明し,その対策を講じることで再発防止の達成とみなしてきた。時計のように複雑ながらも閉じられた世界の中で設計通りに動くシステムに対しては,このようなアプローチが有効である。故障部位を特定し修理すれば,元どおり正しく動くようになるからだ。

 ところが,医療システムは時計のようなシステムよりもはるかに複雑である。患者の状態や現場の状況が刻々と変化する中で,医療者らは状況に合わせて相互に関係をしながら判断や行動をしている。また,関係者が経験に基づいて学習したことも自分たちの新たな行動に反映される。そして,人々は絶えず周囲の環境に適応し続けている。そのため,たとえ同じ行動をとっても,わずかな状況の違いが相互作用を通じて異なる結果を生む。このように複雑で動的に変化し続けるシステムの中で行われることをあらかじめ設計したり,設計どおりに厳密に制御したりするのには限界がある。また,計画外や想定外を含めあらゆる事態に対応できるように,日常的に人や物などを備えておくには莫大なコストがかかる。

 このような複雑なシステムが,状況に合わせて限られたリソース(マンパワー,モノ,時間,情報など)の中で柔軟に対応できている秘密を解明し,それを利用して「うまくいくこと」を増やそうとするのがレジリエンス・エンジニアリング(Safety-Ⅱとも呼ばれる)である。すでに生命機能科学や複雑系科学等の領域では,このような考え方にもとづいたさまざまな研究や応用が行われ新しい知見が得られている。例えば,粘菌は変動する環境に自在に応答しながら,大雑把な情報処理で,餌場所への最適なルートを見つけだす。筋肉タンパク分子はゆらぎを利用して,少ないエネルギーで筋肉を柔軟に動かす。ムクドリの群れのあたかも意思があるかのような動きは,実は個体間の相互作用における単純なルールから生ずる。つり橋の大きな横揺れは,橋の揺れとの相互作用を通じて多くの人々の足並みがひとりでに揃うこと(同期)で生ずる。

 医療がどのように柔軟に行われているかを解明し,また生命システムや自然界に見られる柔軟さの知見を医療に応用することで,安全で質の高い効率的な医療システムを実現することが期待される。

【関連用語】

複雑系,Safety I,Safety II